クラファンだけでは救えない、地域文化の重圧 誰かが「辞めたい」と言えば終わるかもしれない

最近、「地域で当たり前に受け継がれてきた文化や繋がりが、蓋を開けてみたら一部の人に相当な負荷がかかっていた」という場面に出くわすことが多くなったと感じます。

すごく俯瞰的な視点で言えば、少子高齢化や人口減少といった構造的な要因があるのでしょう。

しかし当事者の視点から言えば「関心があるふりをした無関心」が、より深刻な原因なのかもしれません。

「いいね」をすれば共感の意思表明になるし、クラウドファンディングで応援すれば、一時的な手当や起爆剤にはなります。「いいね」「クラファン」は、「応援した」という姿勢を示す有効な手段であり、それ自体は否定しません。

でも、当事者が本当に求めているのは、
「この場所に来て、手伝ってくれること」
「無理のない範囲で、関わってくれること」なのです。

クラファンで満額を達成できたから御の字なんてことは、あり得ません。

地域コミュニティーは、地理的に近い場所に住む人々が、共通の関心や目的を持って形成する人間関係の集まりです。八戸で言えば、えんぶりや三社大祭であり、騎馬打毬であり、せんべい喫茶が、それに当たるのかもしれません。

これらは全て、「人から人へ」と受け継がれてきたものです。でも今、それぞれから「もしかしたら続かないかも」という声が漏れ始めています

では、どうしたら良いか。

「クラファン」も「いいね」も、意味のある行為です。でも今、本当に必要なのは、もっと直接的な関わりなのではないでしょうか。

地域のアイデンティティとも言える文化に関わる「当事者」たちに、これまでにないほどの負荷がのしかかっている現状があります。

当たり前に存在している文化が、「え?そんなにヤバいの?」という状況にあります。

文化は、特定の個人が抱え込むものではありません。

私たちが最もすべきことは、「手を貸すこと」なのかもしれません。

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