えんぶり烏帽子に神が宿る?140年前の烏帽子は語る

えんぶりは長者山新羅神社の神事。シンボルの「烏帽子」を被った太夫の舞は田植えの所作を模したものとされます。烏帽子は馬の頭をかたどっていて、「田んぼの神様が宿る」と言われます。

各えんぶり組では烏帽子を神棚のように大切に扱います。えんぶりの練習では、必ず練習の前後に烏帽子に手を合わせます。神社のお参りのように、メンバー全員が「二礼二拍手一礼」をして、烏帽子にご挨拶をします。

でも、「神様が宿っている」とは言っても、それは本当なのでしょうか。八戸市柏崎で活動する「塩町えんぶり組」には、こんな話があるそうです。

「140 年前の烏帽子」の里帰り

1876(明治9)年、えんぶりは「旧暦に基づく風習だから」という理由で当時の青森県に禁止されます。当時の役人の目には「物乞い」や「通行妨害」などと映ったようで、「老醜」(ろうしゅう:いやしいならわし)だとされてしまいました。その後1881(明治14)年に、町の有力者だった大澤多門氏らの尽力により、長者山新羅神社の神事として復活。現在の八戸えんぶりの姿へと繋がっています。えんぶりが復活したのは、今から約140年も前の出来事でした。

八戸市柏崎の塩町えんぶり組には、この明治14年に作られた「140年前の烏帽子」が残っています。まさに「歴史を語る烏帽子」とも言えるでしょう。この烏帽子は今でも塩町に大切に保管されている・・・と思いきや、昭和初期に岩手県内に寄贈された後、約70年に渡って行方不明になっていました。

塩町えんぶり組の人々はこの烏帽子を探し当てようと、平成に入ってから調査を開始。平成14年、ついに岩手県久慈市の「天神堂町内会」が所有していることを突き止めます。

天神堂公民館(岩手県久慈市)

烏帽子は天神堂公民館のガラスケースの中で、色落ちや破損が全くない状態で保管されていました。御神酒も置かれていたので、町内会の人々が大切に保管していたようです。製作年は1881(明治14)年、作者は木村徳次郎氏、烏帽子寄贈者は正部家正種氏と記され、絵柄には丸を二つ重ねた塩町の紋章も。塩町の人々の目で、まさに塩町の烏帽子であることが確認されました。

天神堂町内会が所有する、塩町えんぶり組の烏帽子(写真は塩町えんぶり組提供)

「70年ぶりの再会」を果たした烏帽子と塩町の人々。塩町えんぶり組では平成15年の八戸えんぶりの際、天神堂町内会からこの烏帽子を借用。約70年ぶりに塩町の太夫が被り、「一斉摺り」で摺りが披露されました。
えんぶりが復活した明治14年の烏帽子が平成の八戸えんぶりで復帰を果たした、記録に残すべき出来事でした。

この烏帽子は2023年の現在でも、天神堂町内会が大切に保管しているそうです。

烏帽子が語りかけるもの

なぜ塩町の烏帽子が久慈市天神堂に渡ったのかは定かではありません。

塩町えんぶり組のベテランの親方によると、天神堂町内会には、この「140年前の烏帽子」にまつわるちょっと怖い体験談があるのだとか。

平成14年に天神堂に行った時、町内会の人がこんな昔話を教えてくれた。

昭和初期にこの烏帽子を置いていた家では「2月になるとどこかからお囃子が聞こえてきたり、烏帽子が動いて見えたりする」という。

気味が悪ので他の人にこのことを話すと「酔っ払いすぎてそう見えただけじゃないか」と信じてくれない。

あまりに怖いので3軒ほどの家に順番に預けてみても、2月になると「烏帽子が騒ぐ」という。

たまげた気味が悪いから、公民館の裏に神社があるので、相談しに行った。

すると「八戸のえんぶりの時期になれば、いがんど(あなたたち)そうやってしゃべるな。烏帽子が遊びたがっているのでないか?」と言われた。

ベテラン親方の話

2月になると「烏帽子からお囃子が聞こえてくる」という話。
天神堂地域にはえんぶり組が無いそうなので、えんぶりを舞う人など居ないはずです。それでも、久慈の人たちは確かにお囃子を聴き、烏帽子が勝手に動いた様子を見てしまったようです。
この話について、塩町の若い親方はこう語ります。

こういう話があるのも、久慈の人たちが御神酒をあげたりして烏帽子を大切にしているからではないか。

若手の親方の見解

烏帽子には「田んぼの神様が宿る」とされています。久慈の人たちがこの烏帽子を大切にしていたからこそ、えんぶりの無い地域であるにもかかわらずこんな体験をしたのかもしれません。

ベテランの親方は、こう続けます。

このことを当時のえんぶり組の元老さんたちに話したら、

「昔の家は隙間風が通るべし、

風が吹けばカンカン鳴るべし、

おそらくそれが囃子に聞こえたんでねぇか?」と。

でも、そうだとしても、烏帽子を預かった人がそう聞こえたのであれば、まさにそうやって八戸えんぶりの期間中に、(烏帽子が)遊んでいたんじゃないか。

ベテラン親方の話

烏帽子に神は宿るのか?郷土史家、故正部家種康氏の著書に学ぶ

塩町は、八戸市博物館の初代館長で、八戸を代表する郷土史家の故正部家種康さんの地元。
この「140年前の烏帽子」は、もともと正部家さんの父の正種さんが、明治14年に塩町えんぶり組に寄贈した物。正部家種康さんとも繋がりのある烏帽子です。
塩町えんぶり組の衣装には、今でも「正部家種康」の文字が刻まれていて、その繋がりの深さが伺えます。

衣装に「正部家種康」の文字 正部家氏宅にて撮影

正部家さんがえんぶりについて解説した名著「えんぶり読本」には、烏帽子についてこう書かれています。

太夫達が一心不乱にえんぶり摺りを行う時、農業を守ってくださる神様ーつまり農神様は、華麗なエボシに降臨され、太夫達は神の化身になるとも考えられていた。

それ故、美しい図柄が飾られたエボシは、農神様の象徴である。だからエボシはどこのえんぶり組でも、床の間や高い棚の上にかざられ、御神酒が手向けられ、丁重に扱われている。

正部家種康著「えんぶり読本」より

この烏帽子は、昭和初期に塩町から久慈に渡り、塩町のもとを離れてしまいます。しかし久慈の人々はこの烏帽子を大切に扱い、「お囃子が聞こえてくる」という不思議な体験をしました。平成15年の「再会」は、烏帽子にとってまさに待ちわびた瞬間だったのでしょう。

「烏帽子には田んぼの神様が宿る」というのは、もしかしたら本当なのかもしれません。そして、この烏帽子たちは、再び塩町に帰ることができる日を心待ちにしているのかもしれません。

塩町えんぶり組のお囃子を聴く

出典・参考文献
▷記念誌「塩町三百年 和合組百三十年 塩町和合組」
▷正部家種康著「えんぶり読本」
デーリー東北新聞社「続きたおおう人物伝」

塩町えんぶり組の出演予定
2月17日(金)10:30~
一斉摺り 六日町「八戸ブックセンター」付近

2月18日(月)19:00~
かがり火えんぶり 八戸市庁前市民広場

テレビ出演予定
NHK青森放送局「あっぷるワイド」
2月13日(月)

この記事に掲載している写真は、全て2020年以前に撮影したものです。

4件のコメント

  1. こんにちは!ピーナッツです♪
    リンク、張らせていただいてもいいですか?
    素敵な内容なので☆

  2. すいません!事後報告ですが、有難う御座います♪

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です